皆さんはパソコン(コンピューター)の起源をご存知でしょうか?
職場でもプライベートでも何気なく使っているパソコン(コンピューター)ですが、その発祥を知る人は少ないはず。
コンピュターは「アラン・チューニング」と言う無名の天才が作り出したのです。
今ある豊かな生活は、1人の天才がいたからこそ実現している?
本記事は、コンピューター誕生のきっかけとなるエニグマ暗号機と「アラン・チューニング」について詳しく解説します。
コンピューター誕生の引き金となった情報戦
戦争が勃発すると、味方同士や同盟国間での情報交換は、書面や通信手段で行われていました。
しかし、通信を傍受されると情報が漏洩してしまうので、機械式暗号機が重要な通信手段として世界中で使われていました。
暗号解読技術の進歩と普及により、単純な暗号は次々と解読されたため、暗号は次第に複雑な物となっていきます。
しかし、暗号機と言っても所詮人間が作り出したものなので弱点も存在し、各国の暗号解読班はその弱点を見つけ出しては、暗号解読をしていました。
複雑な暗号機を作り出しては、その暗号を解読される…
そんなイタチごっこが行われる中、ナチス・ドイツがとんでもない暗号機を開発します。
ナチス・ドイツが作り出した暗号機の名前は「エニグマ」です。
難解!エニグマ暗号機を解読せよ
エニグマ暗号機とは
1918年ドイツの電気技術者アルトゥール・シェルビウスが「エニグマ暗号機」を作り出します。
エニグマ暗号機は、従来の暗号機をとは比べ物にならないほど解読が困難であり、軍部にも正式に採用されます。
ドイツ政府も、エニグマの暗号には絶対的な信頼を寄せていました。
では、エニグマどれほど解読困難だったのでしょうか?
エニグマ暗号機の性能
エニグマ暗号機のシステムは、アルファベットの文字のキーボードを打ち込むと、
- プラグボード
- ローター
- リフレクター
- ロータ(2度目)
- プラグボード
の順番で通し、暗号化した文字をランプボードに表示するシステムとなっています。
エニグマ暗号機が生み出す暗号系列は、約159×10の18乗(10,000,000,000)通りと、とてつもない数になります。
エニグマ暗号機は文字を変換するだけのシンプルな構造でしたが、シンプルが故に複雑な暗号系列を生み出すことができたのです。
よく分からないけど、とりあえず解読が難しいってことね?
エニグマ暗号機に連合軍側は大苦戦
連合軍側のイギリス、フランス諸国はエニグマ暗号機の存在を知ると、暗号解読に乗り出します。
しかし、これまでの暗号機とは比べ物にならないほどの性能を持つエニグマは、簡単には解読できませんでした。
解読を試みるたびに失敗してしまい、多くの暗号解読者を悩ませました。
暗号解読の兆しを見つけるけど…
1932年ポーランドの暗号解読班ビュロ・シフロフに所属する「レイフェスキ」が、暗号解読の足がかりを作ります。
レイフェスキは、エニグマ暗号機の法則を見つけ出し、約10,000,000,000(1京)通りの膨大な暗号パターンを105,456通りにまで削減することに成功します。
そして、105,456通りの暗号文をパターン化して一覧表を作成して、エニグマ暗号機の解読成功の足がかりを作りました。
しかし、エニグマは気安く暗号解読できる代物ではありませんでした。
エニグマ暗号機を複雑化
ドイツは容易に暗号を解読されないよう、たびたびエニグマの運用方法を変更します。
そのたびに、ポーランドの暗号解読班は新たな暗号解読機を製造しますが、段々と資金不足になっていきます。
ポーランド政府の資金に余裕がなくなると、ポーランド単独での暗号解読が困難になります。
もはや、ポーランド一国の力だけでは、エニグマ暗号機の解読は困難だったのです。
そこで、ポーランドは思い切った決断をします。
連合国全体で暗号解読を開始
1938年ポーランドは、イギリスとフランスの暗号解読機関に、これまでの成果と暗号解読機械の公表に踏み切りました。
暗号解読の情報は国家機密であり、レイフェスキの解読方法も公開されることはありませんでしたが、限界を感じたポーランドは連合国と団結して暗号解読を試みたのです。
イギリス&フランスは、ポーランドの国家機密の公開に驚きましたが、それ以上に一定の解読に成功していた成果にも衝撃を受けました。
これは、イギリス、フランスの暗号解読班は資金、人材、技術、など全てにおいてポーランドをはるかに上回っていたからです。
ポーランドが行った暗号解読の情報の公開は、イギリス、フランスの暗号解読班のプライドを傷つけたor火をつけたと言えるでしょう。
これによって、エニグマの暗号解読は今まで以上に活発になります。
「アラン・チューニング」が暗号解読に参戦
アラン・チューリングはイギリスの数学者で、後にパソコン(コンピューター)のパイオニアとして名を馳せます。
アラン・チューリングは「テープ」を「出力機械」に通すことで、論理的に回答可能な問題全てに答えられる「万能チューリング・マシン」の概念を発表します。
この万能チューリング・マシンは、現在のコンピューターと同じ原理でした。
万能チューリング・マシンの業績によって、1938年チューリンはブレッチレーの暗号解読者として従事。
ドイツの暗号を解読するいくつかの手法を考案し、Uボートの暗号通信を解読する部門の責任者になりました。
エニグマ暗号機の解読に成功
アラン・チューリングは、電動式の暗号解読機「ボンブ」を開発し、エニグマ暗号機の暗文をほぼ解読する事に成功します。
ボンブは万能チューリング・マシンの技術を応用して作られた装置で、エニグマの解読に特化した解読器でした。
この暗号解読機「ボンブ」こそ、のちにパソコン(コンピューター)となる機械だったのです。
暗号解読機「ボンブ」がパソコン(コンピューター)のパイオニアってことね?
(主観的な意見ですが)
連合国側の勝利に大きく貢献
エニグマの解読に成功した後も、その事実は徹底して秘密にされ、ドイツ軍はエニグマが解読されてることに気付かず、終戦まで使用され続けました。
アラン・チューニングが開発したボンブは、Uボートによる通商破壊の妨害に成功し、連合国側の勝利に大きく貢献します。
もし、チューリングがエニグマ暗号機を解読していなかったら、イギリスはドイツに負けていた可能性もあったのです。
アラン・チューニングはイギリスを勝利に導いたヒーローと言える存在だったのです。
戦後、進化してゆくコンピューター
暗号解読機「ボンブ」はパソコンの基礎とになり、1945年「ノイマン型コンピューター」発明が発明されます。
それまでのパソコンは機械的に加減算をするものが主流で、パソコンというよりは簡単な計算機のような物でした。
ノマイン型コンピューターは、プログラム内蔵方式で、CPU、キーボード、ディスプレイ、などの現在でもパソコンの重要部分が使われる技術が備わっていたのです。
電子計算機や集積回路が発明されると、パソコンはさらに進化を続けます。
初期のパソコンは国家機関が使用していましたが、のちに会社にも導入され、そして個人にも多く普及していきます。
現在は、携帯電話にパソコンの機能が備わったスマートフォンが爆発的に普及し、パソコンは必要不可欠な存在になりました。
まとめ
敵国に何としてでも勝たないといけない、何としてでも情報を手に入れたい。
そうした思いから、第二次世界大戦中にパソコンの基礎である「ボンブ」が生まれたのです。
そして、パソコン(コンピューター)年月とともに進化していき、今ではなくてはならない存在になりました。
発祥が戦争だとちょっと複雑ですが、パソコンの発明は当時の研究者や科学者たちの努力の結晶と言えます。
アラン・チューニングの映画「イミテーションゲーム」
アラン・チューニングが暗号機の解読をするまでの過程は、映画「イミテーションゲーム」で知る事ができます。
「イミテーションゲーム」ぜひ観てみます!
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